熊を追って 田子倉山の一日 (昭和45年(1970年) 4月23日)
 ■熊の登るのをじっと待つ

 汗でぐっしょりぬれた肌着をぬいで交換して、レシーバーを耳に差込んで正也よりの連絡待ちをする。これでいよいよ熊の巻狩になるとほっとする。
 勢子が熊の下についたので、追い始めるのでハンターは下の方に注意しているようにと連絡がくる。少し間をおいて勢子のどなり声が聞こえて来て本番が始まる。なんとか自分の足もとにすんなり登って来てくれる事を念じてじっと動かず待っている。熊は動き出してもなかなか上に登らず、正也が勢子を動かしながら、苦労して追い上げているのがトランシーバーに入ってくる。その内に勢子の声もだんだん大きく聞こえてくる。熊も調子よく上がり始めたらしく、正也と勢子との連絡が途絶える。
 暫くすると正也より熊は光義の下を上がって行くので注意して待っているようにと連絡してくる。いよいよ熊のお出ましかとトランシーバーを切って、静かに熊とのご対面を待っている。心よい緊張がはしる。


  ■向側の山の斜面を逃げる熊を撃つ

 下方50m程の柴の中を登ってくる熊を発見する。小生のところではなく、吉也のところ目掛けて登って行く。熊特有の首を左右に振りながら、地ベタを舐めるように登って行く。吉也の下まで登った熊は何を考えたのか上には登らず、横に切れて小生の頭の上の方向に向ってくる.これは大変と、吉也に、足の下を「イデシ」にきれて抜けるので熊の見えるところまで下って撃つよう大声で怒鳴りながら吉也のところに追上げる。熊はさっぱり言うことも聞かず、どんどん横に切れて行く。吉也が上よりのぞき、3発立続けに引金を引く。駄目らしく熊の逃げて行く方向に駈足にて追いかける。小生も尾根より飛び降りて、となりの沢の見えるところまで出る。熊は沢の向側の山の斜面を逃げて登って行く。駈足の後は息がせかせかしてライフルの狙いが定まらず気だけが急く。雪の上にどっかと腰をおろし、じっくり狙いをつけて引き金を引く。雪と柴の山斜面を赤い血の線をひいてもんどりうって沢に落ちて来る。全員にトランシーバーにて万歳を連絡して、吉也と2人で熊のところにおりて行く。

 ■死んだ筈の熊がむっくり起き出して

 熊は腹をライフルで撃たれ、腸が30cm余り外にはみ出している。倒れた熊の側まで行くとまだ完全に死んでおらず頭を少し動かしている。吉也がとどめと銃をかまえる。まてまてと吉也を止めておいて、自分のリュックより8ミリカメラを取り出す。
 その時、下より信也が上がって来て熊の側に来て大きな声で、これは思ったより大きい熊だと話しながら見ていると、死んだ筈の熊がむっくり起き出して信也目掛けて追かける。沢の中の何ひとつないきれいな雪渓の上を信也と熊が一緒になって沢をかけおりて行く。想像もしなかったことが今、目の前に起きている。熊は撃たれた腹のキズ口より血に染まった赤い腸を出して、それをひきずり、信也を追かける。50m余りおいかけ、力尽きて熊は倒れる。只一瞬の出来事でしたが、何事もなかったのでやれやれと安堵の胸を撫でおろす。
 後の考えになりますが、逃げる信也の後をキズ口より血に染まった赤い腸を引きずりながら追かける熊、二度とこんな写真はとれないでしょう。それも8ミリの写真機をリュックより出して手に持っていながら、人間と熊との攻防、この稀有の出来事を写真に残す事の出来なかったのは残念の極みです。プロでもあれば、この千載一遇のチャンスを逃しはしなかったと思います。後で考えれば考えるほど値千金の写真でした。そこは素人の悲しさ、あまり大傑作を望むのは所詮無理のことと自分に言い聞かせて諦めました。信也に何事もなかった事が何よりの幸いと思い、今日の出来事はよい教訓となりました。






生き返り50mも追かけた熊


赤い腸を出し追かけた熊
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