熊を追って 田子倉山の一日 (昭和45年(1970年) 4月23日) | ||||||||
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心配して待っていると10m程下の柴の先がゆれる。熊の黒い処がちらちら見える程の厚柴で、横に切れながら小生のすぐ脇を上の方に登って行く。急く気持ちを静めて熊に狙いをつけて柴の切目を追うが柴が邪魔して引金が引けない。手の届くような近いところを登って行く。時間的にはそんな長いものではないのに、引金をの引くまでの時間が長く感じる。 柴の薄い切れ目、ここだと引金を引く。柴が邪魔して弾はそれたらしい。その瞬間、大熊は吠えるような声を出し、赤い大きな口をあけて、小生のところめがけて一目散に駆け下りてくる。急いでライフルをボルトアクションをして2発目を引金に指をかけるのが精一杯で熊はすぐ目の前に来ている。ライフルの銃口が大熊の肩口につくばかりです。腰だめで撃った話しは聞いたことがありますが、そんないとまもなく引金に指を入れるのがやっとで引金を引く。山の斜面に爪立って立っているので発射の銃のショックで体が反対方向に振り回される。右手の中指の皮が切れて血が流れる。赤い大きい口をあけて牙がはっきり見える。猛然と飛びかかってくる。大熊を目の前にしながら、ライフル2発目をボルトアクションしてやっと間に合って引金を引いて大熊を射止める。 異様な一瞬の出来事で、それもみんなが見ている目の前での事で、銃にもしかの事でもあれば、熊山どころではなかったと思います。 先人の話しに、熊は自分より上にしては撃ってはならないと聞いたことがありますが、今日の自分のような経験をした人の言葉と心に刻みました。あの2,3秒間の出来事は、今でも思い出すと身の毛がよだつ思いがいたします。趣味の狩猟に命をかけるような事はすべきでないと、よい教訓を残してくれた大熊です。
午前中に見た熊が追われてクズレ沢に入り、梅夫の下にいるらしく、怒鳴りながらハンターの国保のところに追っているが、熊が言う事を聞かず苦労している。しばらくして熊が国保のところに登って行くから注意するよう連絡している。これは熊になるぞとと喜んでいると、ライフル特有の発射音が聞こえてくる。間をおかず万歳の声がトランシーバーに入ってくる。私は大熊の落ちた跡を追って、柴にべっとりついている熊の血を避けながら下りて行くと、20m程下の雪のある窪地に雪を赤く染めてのびている。クズレ沢にいる信也達と大声で話しをしていると、雪の上にのびている大熊がまたもや、渾身の力を振絞るようにゆっくりと起きあがる。ライフルを肩よりおろし止矢をかける。熊はもんどり打ってクズレ沢に落ちて行く。各人、クズレ沢に集まるよう連絡をする。 大熊は100キロ余の雄でした。獲物が大きいので喜びも大きい。国保の撃った熊は25キロ位で、昨年の秋に親熊より離れた小熊かも知れない。本日は一日で3頭捕獲する大戦果でした。
全員が集まり2頭の熊を並べてとりかこみ「とな声」をあげる。 早速2組に分かれて皮むきが始まる。大熊の私の撃ったあの2発目の弾は熊の肩口より入り、アバラ骨を全部折って尻より抜けていました。こんな大きな「キズ」を負ってもまだ立とうとする熊の生命力には驚きました。大熊の皮むきも終わり、裸にされた油で包まれた白い巨体は、雪をきれいにした所に移されて処理をする。腹を切る時は全員の目が一点に集中する。それは、腹の中より出てくる熊のタンノウの大きさが注目の的です。熊が大きいので出てくるタンノウも大きいものと目で見るまで不安がよぎる。腹が切り開かれ、思ったとおりの大物がでてきてみんな大喜びです。2組に分かれての作業で手際よく処理される。 午前中のイヌワシが2羽上空を旋回している。イヌワシにしてみれば、労せずして得る大ご馳走ですので待ち遠しいのかも知れません。 |
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