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このページ作成にあたり、電源開発()田子倉電力所様から多くの資料をご提供いただきました。
また、只見町勢要覧、只見町史、只見町パンフレット、福島民報社刊「只見川」などから一部資料を使わせていただき作成しましたのでご了承ください。
(2001/3/5 open) (2012/12/20 更新) |
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●只見川は、標高1,665mの尾瀬沼を源とする急峻な河川です。町内では伊南川など多くの支川を合流し、阿賀川に合流する延長145.2kmの河川です。新潟県に入り阿賀野川となり、日本海に注ぎます。
●源流域は年間雨量も多く、尾瀬沼、燧ケ岳(2,356m)、駒ヶ岳(2,132m)、会津朝日岳(1,624m)、浅草岳(1,586m)などの山岳地帯であり、且つ、積雪4〜5mの日本有数の豪雪地帯で、この雪が只見川の水力発電に大きく役立っています。
●只見川の電源開発はすでに明治40年代には計画された経緯もあり、電源開発地域として古くから注目されていました。太平洋戦争後、政府は、戦後の経済復興にあたり、アメリカのTVA方式で電源開発をはかる特定地域開発計画をすすめ、昭和26年国土開発只見特定地域が指定されて、本格的な電源開発の幕開けとなりました。
●その後の電源開発工事により、只見川水系(阿賀川、阿賀野川を含む)は、只見町内の田子倉ダム、只見ダム、滝ダム、黒谷ダムを含め20のダムで閉め切られ、34の発電所が完成、その発電力は最大出力240万kWを越え日本屈指の大電源地帯となりました。 |
只見ってどんなところ ??
電源のまち只見の全景
只見川電源地帯縦断図
只見川電源開発と文学
電源開発で生まれた只見
のうた
只見の方言
只見の積雪量
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只見地域電源開発の移り変わり
(1947年)
昭和22年 3月
(1947年)
昭和22年 6月
(1948年)
昭和23年 2月
(1949年)
昭和24年 6月
(1949年)
昭和24年11月
(1951年)
昭和26年 9月
(1951年)
昭和26年12月
(1952年)
昭和27年 9月
(1953年)
昭和28年 7月
(1953年)
昭和28年11月 (1955年)
昭和30年11月 (1956年)
昭和31年 7月 (1956年)
昭和31年12月
(1957年)
昭和32年 4月
(1957年)
昭和32年 7月
(1959年)
昭和34年 3月
(1959年)
昭和34年 6月
(1959年)
昭和34年 7月 (1959年)
昭和34年 8月
(1960年)
昭和35年10月
(1961年)
昭和36年 7月 (1961年)
昭和36年10月
(1961年)
昭和36年12月
(1962年)
昭和37年10月 (1963年)
昭和38年 8月
(1964年)
昭和39年10月 (1971年)
昭和46年 8月 (1973年)
昭和48年 9月
(1976年)
昭和51年12月
(1978年)
昭和53年 3月
(1984年)
昭和59年 9月
(1989年)
平成元年 7月
(1990年)
平成 2年10月
(1993年)
平成 5年 9月
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「只見川筋水力開発計画概要」発表
只見川電源開発説明会開催(伊北小学校)
只見川分流案を新潟県が発表
田子倉ダム建設予定地地質調査始まる。
アメリカ人技師2名只見川調査
アメリカOCI調査団、只見川を現地調査※
国土開発の只見特定地域指定
電源開発株式会社設立される。
本流案開発方式決定(一部分流を認める。)
田子倉ダム建設工事着工
田子倉ダム建設只見川の仮締め切り
川口・只見専用鉄道着工
田子倉ダム建設コンクリートの初打設
滝ダム建設計画発表
吉田元首相田子倉発電所建設視察 ※
田子倉ダム第一次湛水開始
田子倉発電所15万kW営業発電開始
滝ダム建設工事着工
只見町町制施行 ※
田子倉ダム完成、完工祝賀会
奥只見発電所完成
只見線が国鉄に編入
滝ダム完成
滝発電所完成、完工式
国鉄会津只見線只見ー川口間開通 ※
大鳥発電所完成
国鉄只見中線開通(只見ー大白川間) ※
国道252号線60里越開通 ※
黒谷川開発計画発表
只見ダム建設計画説明会(石伏)
只見ダム発電所着工式
只見ダム完成
黒谷ダム建設工事着工
黒谷ダム完成
※印は関連写真をご覧ください。
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只見町内のダム(発電所)
ダムの赤い印をクリックしてください。
発電所および周辺の見どころなどご案内いたします。
只見の電気はどこへ行く…
只見で発電した電力は、東北電力25%、東京電力75%の割合 で供給され、大部分が大都市で消費されています。 |